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他作品と比較して感想をあげる事はダメなのか?織田信奈の野望と山本五十子の決断を比較して

ちょっとつい最近、Twitterで作品の感想をあげる時、他作品と比較するのってどーよ??って話が話題になった。

まぁその良し悪しはともかく。自分はやっちゃう派ではある。要はやり方伝え方の問題なのかな??と。但し悲しいことに自分のやり方は毎回正しいとは言えないのだろうなぁと。

その話題で頭に浮かんだのが富士見ファンタジアからシリーズが刊行されている織田信奈の野望と山本五十子の決断の二作品があった。

こっからはタイトル詐欺に近いが良いことか悪いことかというより、この二作品の歴史についてのアプローチの仕方を比較したいと思う。

この二作品に共通項があるのだけれども。

一つめは歴史上の人物が女性になっていること。織田信長山本五十六の女バージョンが織田信奈と山本五十子。その他の歴史上の人物も女性になっている。

二つ目は、そんな架空の世界に行って現代の知識によって、その世界の悲劇的な未来を知っている主人公がいる。織田信奈では本能寺の変。山本五十子ではミッドウェー海戦。そして主人公がその悲劇的な未来を改変するためにあれやこれやをする。

まぁありがちと言ったらあまりにも雑であるが、歴史上の人物が女性になっており、更に悲劇的な未来を改変するためにもがくみてえな物語は、まだまだ挙げられるだろう。たぶん。三国志とかでそんな感じの題材のヤツがきっとあるだろう。

まぁ筋書きが似ているのも以前、山本五十子の作者が織田信奈の影響?というかその作品が好きだからこの物語を書いた的な事を言ってた記憶もあるし。まぁそりゃ似てくるよな。

だからと言ってまぁ=パクリだとか言うのも。上で書いた通りそんな感じの作品は、探しゃでてくるだろうし。時代も全く違うし。まぁ雑すぎるよな。つか言えないわな。

まぁ似ているとかよりも言いたかった事は違うことなのだけれども。

この二作品を比較して思うことは、どちらの作者も恐らく歴史が詳しいだろうということ。だろうと言うのは、恥ずかしながらこのブログを書いてる私が歴史について詳しくないから。そんな私ですら話を読んでて作者の知見があることが伺える。

しかしこの二作品は、その知識の使い方と言えば良いのか?作品を面白くするために実際の歴史の説明や表現が全くの逆なのでは無いか?と考える。どちらの作者も歴史をあまり知らない読者(まぁ自分の事なのだが)でも楽しめるように工夫をされた文章なのではないかな?と思います。

織田信奈の方は、かなり細かく実際の歴史についての説明を書いて物語を進める。何が起きてそれがどのように起こったのか?それを変えるためにどうするのか??かなりその説明に文字数を取られてるのでは?と。

逆に山本五十子の方は、史実の説明は起きたことくらいで、物語の登場人物のキャラクターに力?比重を大きく?していると感じる。実際の史実よりストーリーをどうするか?を強くしているのかな??と

繰り返すがこの二作品は説明を綿密にするかあるいは省くかと違いがあるのだけれども。どちらの作品も歴史を詳しくない人が読んでも楽しめるための工夫をしていると感じる。実際に私はまぁどちらの作品もたのしめた。まぁ題材の歴史についての差異もこの二作品の説明をどれくらい力入れて説明するのか??についてに影響するのかってのもあるだろうけれども。

私は山本五十子を読んだときにやはりその織田信奈との歴史についての差異を挙げた方が如何に考えられてるか?魅力的に説明できるか?と言うこと強められると思った。

だから比較して作品の感想を上げるのは悪いことではないと思う。まあ上げ方説明次第なのかなと。

まぁこれもまた上で書いたことの繰り返しになってしまうがその説明次第ということを自分で出来てるのか??って言ったらたぶん出来てないだろうし。自分のスタンスとしては、他作品を比較するのはダメだ!!避けるんだ!!って意識を強める事はやらず。いつもドーリ思った事をぶわぁぁと気楽に書いてイケたらなと。

あと、やはりその織田信奈と山本五十子どちらもまぁけっこー面白いし。その歴史の描き方を比較してみたらまた楽しいかもね。かもね!!と。

相変わらずとっ散らかってまとまりは無いのですが、おねむなのでここら辺で終わりにします。

ライトノベルのお話でした。