ソルティライムシャーベット

小説とかライトノベルとか漫画とか邦楽とかの感想とか

○○っぽいラノベって表現はオーケーオーケー使っていこう

言っていこうよ。自分の素直な想いを素直な言葉で。

この世に全く同じ作品は多分生まれない。パクろうと思わなければ。トゥハートが20周年とのことでTwitterで一瞬の閃光のような盛りあがりをみせる中、トゥハートを作ろうと思ったらヴェドゴニアができちゃいました。って話を見て、マジかいな。マジかいな。と思った。当時に揺らめく多感な時期をオタク活動、略してオタカツをしていた人間に取ってその逸話はアタリマエになっていて、アタリマエになってない側からしたら作品のパッケージをみただけで、そんな事は起こりうるモノなだろうか。とそらなるよ。マジかいな。マジかいな。

まぁそんな話を前置きにシタところで話は違うレールへと乗り換えが始まるのだが、○○みてえな○○と言って、作品の感想を述べるのは如何だろうか?と少し疑問に思い、今回ブログに書こうと思った。

ちなみに○○ぽい○○って表現は自分は大有り。だって感想を紡ぐのは基本はその作品と自分自身。そしたら自分自身の過去の読んだ観た聴いた感動したと言う過去の思い出と全くクロスしないで今回読んだものを語るのは難しいと思う。多かれ少なかれ。○○ぽい○○はあくまで自分の脳内で過去読んだ作品と結びつけて生まれるだろうから大いにアリ。だと思う。もちろんその読んだ感想を発信してそれを別の人間が受け取った場合は、○○ぽさを感じるポイントも異なってくるだろうからイチャモンの一つや二つくらい出てもまぁシャーないよね。と思う。

こっからは言葉の揚げ足を取って刈って手羽先にするくらいのしょうもない細かいニュアンスの話になってくるのだけれども○○のパクリとか○○が粗製乱造されてるとか。についてはノーノーの姿勢です。自分は基本的に。感情的なったら多分言ってる。パーフェクトヒューマンにほど遠い。というか対極にいるような人間であるし。頭きたら言ってると思う、恐らく。ノーノーの姿勢なのに自分ではやってしまうときもある。フクザツであるなんて言葉では誤魔化しきれない程のしょーもなさはある。

まぁ何でこんな事を書き始めたのか今さらぶっちゃけると今月、ガガガ文庫から刊行されたジャナ研の憂鬱な事件簿を読んで、あっ面白いと氷菓みてえだなぁと思い、最後迄辿り着いた時には溢れんばかりの読めた事の嬉しさ楽しさが出てきて、氷菓みてえだなぁってのは確かに拭いきれないけれど。それでも氷菓みてえだなぁで終わらない面白さがあったなと。氷菓みてえだなぁと思っておいてなんだけど、自分古典部シリーズを読んでない、アニメだけの人間。

ジャナ研の憂鬱な事件簿 (ガガガ文庫)

ジャナ研の憂鬱な事件簿 (ガガガ文庫)

氷菓 (角川文庫)

氷菓 (角川文庫)

まぁやっぱりそーゆー時に手癖でやっちゃうのよTwitter検索を。まあ案の上、いてまるきり氷菓じゃんみてえな感想をポジティブに言っており、そう○○みてえな○○ってのは人の自由だし。それはもう人それぞれ、自分自身も使うし。。。ってゆーのと確かに氷菓みてえなところを感じないっていうとマルキリのUSO800感出るけども自分はそれよりも先のところで面白かったんよ。凄く器の小さい事を思ってしまったから。因みに自分がお気に入りなのは、ホントに些細なワンシーンなんだけれども後半の展開でギターぶん回して暴れるシーンがあるんだけども、おっフリクリか!?んだよーもっとフリクリみてえにギターぶん回して暴れてくれよーって思ったシーン。自分も全然○○ぽいは使うオーケーオーケー。

フリクリ アーカイブス

フリクリ アーカイブス

と今回思って○○ぽいは人それぞれだし○○ぽいを使うときはポジティブなときもありゃネガティブなときもある。ホントに人それぞれだなぁとアタリマエの事を思ってとりあえず吐き出そうかなぁと思い、今ブログを書いてる。ジャナ研は氷菓みてえなところもあるけれどもめちゃ好きだから、自分みてえなのも書いたきっかけ。

そう○○ぽいは人それぞれなんだ。だからサクラダリセットはセックスの無い村上春樹とか村上春樹を読んだことないのに村上春樹を感じると言っても人それぞれなんだ。人それぞれだから村上春樹を読んだことないのにさすがに村上春樹を感じるってのはどゆこと?と思う、自分もアリ。モハメド・アリ

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

ナイトウォッチシリーズを読んで、1巻の展開からゼーガペインを感じてナイトウォッチの方が先に刊行されてるが自分がゼーガペインを先に観たから、ゼーガペインじゃん!!とキャッキャッするのもアリ。アリス・イン・ワンダーランド。キスしてグッバイしたいところ。

ぼくらは虚空に夜を視る (星海社文庫)

ぼくらは虚空に夜を視る (星海社文庫)


おにぎりスタッバーの序文を読んで瞬時に感覚的に阿修羅ガールみてえだ!わーいと思うのもアリ。アリアンドキリギリス。

おにぎりスタッバー (角川スニーカー文庫)

おにぎりスタッバー (角川スニーカー文庫)

阿修羅ガール (新潮文庫)

阿修羅ガール (新潮文庫)

ラノベっぽくないラノベで青春恋愛モノを出してる時に、一体この人はラノベと一般文芸をどのように見ているのか?と思うのもあり。

追伸 ソラゴトに微笑んだ君へ (ファンタジア文庫)

追伸 ソラゴトに微笑んだ君へ (ファンタジア文庫)

わたしの彼氏 (講談社文庫)

わたしの彼氏 (講談社文庫)

そう全部オーケーオーケーのオールオーケー。アリーノアリーノのアリーノヴェルチなんだよね。

ただ一番アリなのは、こんなくだらん事をだらだら書いてる自分に対してナシって突き付けることってのが悲しいところ。


今回も特に何も得られないし、もうこれ以上言いたいことありません。強いて言うならジャナ研読もうぜい!!です。

ちょっと投稿した後に、一番言いたい事を忘れてたので以下追記しときます。

何故自分が○○のパクリについてはどちらかってゆーとノーノーなのは明確なきっかけがあって、神のみで一躍売れっ子になった若木民喜さんのブログで悲しくも打ち切られた聖結晶アルバトロスが連載終了かそのちょい手前のあたりでブログに書いてあったこと。確か若木民喜さんの祖母が三つの要素を別々のところからパクったらそれはもうオリジナルになるって話を昔されたって言う内容なんだけど。そう全く=になる作品になんてねーじゃん。自分が自分の知識の中で酷似しているモノを見つけたとしてもそこ以外に目を向けると多分違うところがあるだろう。それなのにパクリと断絶するのはどーだろーなーって言うのはあるって話。

今度こそおしまいです。