読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ソルティライムシャーベット

小説とかライトノベルとか漫画とか邦楽とかの感想とか

ブログが何に影響受けてるのかバレるとクソ恥ずかし

こんなんただ自分が恥を晒すだけで自分自身はもちろんその他の人まであまりよろしくない気分になっちゃう可能性はあるっちゃあるけど、まぁ暇つぶし8割残り2割は優しさじゃない何かの感情によって書く。

人は絶対に何かしらに影響を受けるものだと思う。それが意識してるにしろ、無意識にしてるにしろ。意識が無かったらマジやばい。ワタシハイシキアル。

実はこのブログもとある人の文章にかなり影響を受けてる。もちろん文章や言い回しをパクるとか模倣するとかじゃなく、何となくその人の文章の良いところの表面の表面を、つるつる。ザラザラ。スキンケア。影響を受けてるって言ってもその人の文章をコピーするなんて事は当たり前にできず、その人の文章をあっいいわぁコレ。のコレを。自分の勝手な解釈でコピーすると毎回意識してないにしろ心のフロッピーディスクに収納してる。容量少ねえ。ビルゲイツ

というわけでこんなん意識してみて比較してもどこがどこも似つかなく、その人のファンの人が仮にこれをみて重々承知であり、こんなんことを書いてる時点でかなり恥ずかしいのだけれども。保険に保険を重ねがけ。

友人とLINEをしてる際、自分の文章が長嶋有に似てると言われて、げぇ!?げええええ!!!?まっマジで!?とどんぴしゃりで当ててきやがったよ!!?とかなり驚きを隠しきれなかったのよ。マジ。

まぁ友人には自分が長嶋有が好きな作家の一人である事は言ってるし、エッセイもオススメしてそれを読んだから分かったってのもあるけれど、どこが似てんよ?とかなり自分の中のブラックボックスを空けたら恥ずかしさものごっつ飛び出てきた。パンドラの匣を空けられた感覚を初めて体験したかもしれない。

自分がブログを書くときに心がけてる事は、暇な退屈な人間の暇つぶしらしくやる事。つまり何も心がけもクソもあったもんじゃない。テキトーにそんな何かを書こうというよりも反射的にというのか?とりあえず頭で思いつかないレベルにパパッと書く事。ルールとかも特になく。だから読み返すと自分でも何言ってるか分かんねーよってのが多い。

そこに長嶋有のテンポの良さ。良いい感じではいる短文とかを無意識的に織り交ぜてる。別に長嶋有みたいに書こうと頭をひねるなんて事は当然せず。何となく?って言葉は違うけど、長嶋有を読んで良いなって思ったもののつるつるっと滑らせる。

何でこんな事を書こうと思ったかと言うと、自分のブログは定期的に巡回して見に来る人というのがまずいないと確信してるから、まぁこんなもん見られないだろうって気持ち。強い気持ち。
ととりあえずこのこの恥ずかしさを何かに落として供養しようと思ったから。恥ずかし。

あと長嶋有のエッセイは、エッセイだから当たり前だけれど、特に何もドラマチックな展開もなく普通の日常を面白おかしく綴っており大変面白いもんです。長嶋有の小説にでてくる登場人物のようにどこがあたたかくどこかおかしみがあるのをエッセイで感じる事も出来る。バンソーレイチャァア!!


安全な妄想 (河出文庫)

安全な妄想 (河出文庫)

あと遠藤浩輝のコミックスの裏のなっがい脱線もアリな雑記も影響を受けてると思う。